【都営5000形】 設計・企画…だったヒトの視点・14

スタッフブログをご覧のみなさま、こん××は。

Sでございます。

   

都営5000形に対応する「都営5000形対応 行先表示ステッカー」を、実車の運用に沿って、記憶が曖昧(?)ながら紹介しています。

画像は、先日到着したばかりの製品サンプルです。

※印刷の際、色合いが変化する場合があります。

       

今回は最終回(?)という事で、乗り入れ運用「京急・逗子線編」編をお届けいたします。

なお、今回の記事に関して私のお勉強不足により細かく書けず、画像をメインでお楽しみ頂きたく思います。予めご了承ください。

京急線内を行く5000形5025号車ほか。

都営車の京急線直通運用は、直通運転が開始された昭和43年6月で、乗り入れ区間は京浜川崎(現・京急川崎)まで急行運転で行われていました。それまでは、都心~京浜川崎、「逗 子(ステッカーには非収録)」と行先表示されているにも関わらず、神奈川新町において車両交換が行われたりなど、複雑な形態が取られていたとの事です。

上記のような運行形態がとられた後の昭和56年頃より、車両交換無しでの通しの運用が開始されたとの事です。

   

ちなみに、「逗 子」は”逗子海岸”の略。更には、昭和60年に編成増強(8両編成化)に対応するため、京浜逗子駅と逗子海岸駅を統合し、その中間地点に「新逗子駅」を設置されました。それに伴って、距離が短くなっています。

京急線内を行く5000形5037号車ほか。

この5037号車の貫通扉の車番が、他の編成と比べて中央部に寄っています。詳細は不明です。

   

今回、ご紹介しました主な行き先と種別表示は?

行先表示:「新逗子」

種別:「急 行」 になります。

   

いかがでしたでしょうか?

ステッカーのお話は、一応今回で完結になります。恐らく、ブログをご覧になっている皆様の方が詳しいと思います。これまで書いて参りました内容に誤りがあったかもしれません。至らぬ点は、ご容赦頂きたいと思います。

次回以降は、基本的に実車や製品のお話に戻りたいと思います。実車は152両が存在しましたが、その中には前途の車番の僅かな位置違い、扉の形状などが挙げられます。

   

中でも、知る人ぞ知る5000形唯一の「異端児」が存在していたのを皆様はご存知でしょうか?

画像は、手元に唯一1枚が存在しますので、次回は、この車両をご紹介したいと思います。

   

それでは、また…。

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